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管理栄養士として働いていた私が、ヨガ講師を目指して昔からの夢だった留学、ヨガ留学に至るまでの話です。今回は学校栄養士になった所からスタート。

3年間お世話になった病院を退職し、社会人4年目から学校栄養職員に。

生活の拠点を那覇から伊江島へ移動。病院での病態管理から一変、小学校で給食の献立作成やら、幼稚園児~中学生に対しての食育指導が主な業務となりました。勤務先は、豊かな緑に囲まれた小学校。

伊江島

伊江島行きが決まったのも、 3月末に「4月から臨時職員として1年間の採用!場所は伊江島です。」という連絡がきて、
3月に病院を退職し、退職した翌月からは学校栄養士として伊江島に。ドタバタの引っ越しでした。

学校栄養士を選んだワケ

実は大学時代、必死こいて栄養教諭免許を取得していたんです。教育実習は今どきの子ども達の会話に本当、驚かされました!(笑)

教員免許取ったのもあるけど、何より夢のある仕事じゃないですか?対象は元気な子供たち。病気になる前、未来ある子ども達の為の仕事なんて、やりがいしかない!と意気込んでました。

病院で働いてた時は、だんだん心が淀んでいる気がして。。。患者さんからの食事のクレームを受けるたび、

「え、自分が悪いんじゃん!病院いたくないなら、食生活ちゃんとしなよ!」

とか反抗的な気持ちになってしまい、寄り添う気持ちを失っていたな…きっと今また病院で働けば、違った気持ちで向き合えるだろうな〜ては思うんですけどね。

戸惑いの連発

学校栄養士の仕事って、給食の献立作ればOKと思っていたら、とんでもない!結構やることあるんです!1年目から、食育指導…つまり授業とか、させてもらいました(笑)先生って本当にすごいんです、演技力というか、生徒の心を一瞬で掴む感じとか、俳優だ!って思いました。(笑)

学校栄養士の業務で1番重きを置かれるのが衛生管理!!!管理栄養士なんて肩書きだけ。調理場の業務は一切わからず、衛生面なんて素人同然だった私。

卵割る作業してたけど、和え物の作業手伝っていいの~?

お肉めっちゃ血が多いけど使っていいの~?

え、ダメなの?どんなが良いと思います?

っていう…質問を質問で返す、本当に使えない栄養士でした(笑)↑きっとこれ、分かる人には分かる話(笑)

とまぁ。こんな感じで1年目は衛生管理の勉強のやり直しと、皆とコミュニケーションとって島人の輪に入りたい!って事に一生懸命で、何してたんだろ?ってぐらい一瞬で過ぎ去りました。

楽しんだ離島生活

那覇にいる時は、スタバで友達とお話したり、新しいカフェに行ってみたり、ヨガのスタジオいってみたり、って感じで日々過ごしてたけど、それがない!!

ましてや、めっちゃバッタがでかい!跳躍力がハンパなくて、家の玄関にガンガンぶつかってきて。最初のうちはバッタが怖くて、夜は外出できませんでした(笑)

する事ないから海に行くか、山に登るか、走るか、動画見ながらヨガをするかして過ごしてました。

沖縄

沖縄

陸上が盛んな島だったから、走る事をきっかけに仲良くして頂いたり、大人なのに本気の陸上練習をしたり、夕方集合して日が落ちるまで走ったり、振り返ってみれば走ってる思い出が沢山。島の駅伝にも出させてもらいました。あんな自然たくさんの環境で走るって、那覇に帰って来たら絶対に出来ないこと。

そんなパワフルな島で出会った、英語の先生として来ていた一人のアメリカ人。

ヨガ留学のキッカケ

年齢も近い彼が、バックパッカーで世界を旅した経験があった為、当時の話をよく聞いていたんです。アメリカ人なのにアメリカの食事が口に合わず、文化が合わず、違和感を感じていた彼は違う世界を知りたくなって、バックパッカーとして世界を回ったそうです。

「母国飛び出して生活したら、人生変わるなんてもんじゃない!日本食が合うってしったのもそのおかげ。」

彼の言葉に、経験に、胸を撃たれた私。私の海外への憧れがフツフツと再沸騰したのです。その時は、まさかその数年後には自分もバックパックひとつで旅をするとは思ってもいませんでした。

管理栄養士がヨガ留学

夢への憧れと不安

離島生活も2年目に突入。海外生活への憧れと、安定生活を手放す不安に揺れていた2016年。

いやいや…私は学校栄養士として安定した人生を歩むんだ。

自分の心を落ち着かせ、採用試験に向けて勉強していたのですが!毎年受けていた学校栄養職員の試験にまたも不合格。自分に自信が無くなり、年齢制限もあるので、試験を受けられるチャンスはあと1回。そこにいろんな事が重なり仕事に対する自信や、情熱も薄れ、栄養士という職業から離れたくなっていました。

今思うと、試験落ちて良かった。栄養士という仕事に自信を失くして良かった。結果論ですが、全て今に繋がっている、と感じます。そのお陰で留学に目が向いたから。

夢だった留学、行ってみようかな?

今逃したら、本当に一生このままかも。やりたい事、やってみる?!

どうせ留学するなら、自分のスキルになるような留学がしたい。と思ってネット検索していた所、見つけたのが「ヨガ留学」という存在。この文字を見た瞬間、「あ、これだ。」と思いました。

100校ぐらいWebサイトを見漁って、Byron yoga center ↑ を見つけた時、あぁ~ここだ!私はここに行く!って強く感じたんです。

ヨガ留学を決意

趣味のヨガを本気でやろう!ヨガ×栄養学で私の強みにもなるはず!

食事とヨガ、そこに語学が加われば、今よりも大きく何かが広がるんじゃないか!?とビビットときた私。

安定職を捨てて三十路前にヨガ留学?大丈夫なの?

昔からの夢でしょ?今行かなかったらいつ行くの?もう一生行かないかも。

こんな感じで頭の中で何度も討論。結果、夢への情熱が勝利し、決めたからには腹をくくろう!と、後戻りできないように留学費用の前金を払っていました。それが2016年の夏のこと。

出発を1年後とし、丸一年かけて留学準備をしました。英語やヨガを猛勉強!どうせ退職するなら、今までしたかったこと全部しよう!とチャレンジ精神が芽生えたのです。

学校栄養士の話はここで終わり。次回はヨガ留学するまでの1年間、私が何を準備したか、という話です。ヨガ留学を検討している方には参考になるかも?

⇒バイロンベイへヨガ留学前に準備した5つのこと

Read more: 沖縄人管理栄養士がヨガ留学 -学校栄養士編-

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